厠草子

これで尻でも拭いてください

世界よ、かわいいの種類は無限ではありませんか(前編)

 

 

 おしゃれが好き。

 

 昔から『かわいい』という言葉を呪い、またそれに憧れながら生きてきた。

 自分が『かわいい』側でないことへのコンプレックスは3歳くらいの時からあった。当時の友達がお金持ちの美人さんで、私はさえない顔と服で彼女の隣に並ぶたびに「ああ私はかわいい子ではないのね」と思わずにはいられなかった。

 そこから20年あまりの歳月を経て、ここ最近、ようやく『かわいい』という言葉に対する心の持ちように、ひとつの決着をつけることができた。備忘録を兼ねて、そこまでの過程をかいつまみながら書いていこうと思う。

 

幼少時代:「かわいい/かわいくない」二元論

 私の顔は『ちびまる子ちゃん』の野口さんに似ている。いや、野口さんのほうが三百倍くらいかわいい。野口さん系統の薄い顔、しかし唇はぶ厚く、かつ鼻の大きな老け顔で、眉毛も濃い。しかも常に陰気な表情を顔面に貼り付けている。率直に言って、手放しで『かわいい』と称賛される顔ではない。まだ未成熟かつ、化粧や服装で彩りを加えられない子ども時代は特に、「何もしなくてもかわいい」ひとが羨ましかった。

 「何もしなくてもかわいい顔」ではない以上、何かしたほうがいいに決まっているのだが、私の家はファッション誌を持ち込んだりできる雰囲気ではなかった。真面目で倹約家な母は、子どもが大人の真似をして着飾ることをあまり好まなかったからだ。

 それにわたしが年頃になるといつわたしの体に「思春期の女の子」の兆候があらわれるか、やや過保護気味に見守る傾向が強まったこともあり、「そう待ち構えられるとこっちが気まずい」という羞恥心からわたしも「女の子」らしく振る舞うことを控えていた。

 するとまあ、みるみる流行から取り残されていく。Tシャツ半パンが基本ルックだった友だちは、いつのまにかスカートを履き、可愛くてちょっと色っぽいトップスを身につけ、髪もサラサラになり、全体的に「おしゃれ」になった。

 そんな装いをしている同級生が羨ましかったのだが、いかんせん照れやら家庭の方針やらによっておしゃれに関する情報をほぼシャットアウトしていたため、どうやって「おしゃれ」したらいいのかまったくわからなかった。どちらかというといじめられっ子だったために、クラスには馴染めず、友だち伝いにそういう情報を得ることが難しかったのもある。

 結果「ケープ」のナチュラルハードタイプをつけすぎて寝癖のような髪型になったり、何もつけずにカミソリでムダ毛を処理して肌を傷めたり、ノベルティでついてくるペットボトルホルダーをポシェットに代わりにしたりと迷走しまくっていた。さながら「おしゃれ」文明から取り残された野人であった。

 その頃、自分の中に生まれた確固とした自覚が、わたしは「かわいくない」側だというものだった。教室を見渡してみると、「かわいい」側の子は丁重に扱われていたし、「かわいくない」側の子は何か特技や一目置かれる理由がない限り舐めた扱われ方をされていた。「かわいい」は特権階級であり、生まれながらにしてそれを持たないわたしは特権階級の人々に逆らってはいけない、それが生き延びる為の鉄則だった。

 今にして思えば、わたしに友達がいなかったり、いじめられっ子だったりした理由はわたしのコミュニケーション下手と単純な相性の問題だったのだが、まだ小学生の子どもにそんな状況分析ができすはずがない。だからこそ、わたしは「かわいい」の力を大いに恐れ、それを持って生れなかったことを呪っていた。

 

 

中高生:左右をよく見て渡りましょう

 上記の掟を発見したわたしは、ひたすらに「目立たない」という選択肢を取り続けた。調子に乗っておしゃれはしない、かわいい小物も持たない、スカートを短くするなんてもってのほか、という調子で学生生活を送り続けたため、いじめられることがなくなっても「かわいくない」側であるという事実がなくなることはなかった。

 中学校は制服がかわいかったので、放課後遊びに行くにもその格好でよかったのが幸いだった。だが当然、外見を整える能力は野人レベルのままである。私生活ではリサイクルショップで買った流行でないスカートをはいたり、知り合いのおばさんのお下がりをそのまま着たりしていた。

 そんな野人が文明人へと一歩を踏み出したのは高校生の時である。

 端的に言って服がダサい、と初めて友人に指摘されたのだ。

 自他ともに認める野人時代から、自分なりに努力したつもりだったので、友人の言葉はかなりの衝撃だった。しかし今ならわかる。その頃、わたしの中にある「かわいい」格好のバリエーションは、アニメや漫画に出てくる女の子くらいのものしかなかった。買う新品の服もなんだかコスプレちっくというか、モノそれ自体が可愛くても、なにかと合わせるにはあまりにもちぐはぐというか、主張の強い服ばかりだったのである。

 パッチワークのワンピースに適当なパーカーを羽織れば「カーテンみたいだ」と言われ、白シャツに赤チェックのミニスカートを履けば「コスプレか」と言われた。

 友人の歯に衣着せないコメントによって、わたしはひとつの概念を習得した。

 流行であり、かつ主張の強くない服のほうが集団からは浮かないらしい。信号と同じだ、周りを見た方が安全なんだ。

 あくる日、ファッションセンターしまむらで買った、シースルーのトップスを着てライブに行くと、「今日は普通じゃん」と言われた。その言葉でようやくわたしはホッとすることができた。よかった、ちぐはぐで痛々しい女の子ではなく、みんなと同じ年頃の女の子のいる岸にたどり着くことができたのだと。

 友人のコメントに多少傷ついたりはしたが、この「かわいい」側、少なくとも「普通」の世界に足を踏み入れられたことは、自分にとってひとつの転換だった。「かわいい」が作れるかどうかはさておき、とりあえず「かわいくない」は投資と模倣で払しょくできるらしい。これはかつて「かわいくない」側として侮られ、ひどい目に遭い、「かわいい」側への恨みつらみと共に生きていた頃からしてみれば、大きな希望だった。

 とはいえ、「かわいくない」を払拭することと、「かわいい」状態になることは、当然同じ作業であるはずがない。前者が「ちぐはぐな組み合わせをしない」「奇抜な服は選ばない」「清潔感のある髪型をする」などマイナス要素を避けることであるとしたら、後者は「センスのあるアイテムを選ぶ」「流行の髪型に近づける」「自分の長所が活きる装いをする」などプラスを積み重ねていく作業であるといえる。「かわいくない」の払拭とは「垢ぬける」ための作業と近いものがある。アイテムをプラスするだけで変わるわけではないのである。

 が、しかし、当時「かわいくない」と「普通」の間でもがいていたわたしにそんなことがわかる由もない。そのため、わたしは「かわいくない」状態から抜け出すために、まず一番入門しやすそうな「かわいい」の形を模倣しようと考えた。

 

大学生:好きな服しか着たくない!!

 そんなわけで、わたしは当時メジャーなブランドのひとつであった「アースミュージックアンドエコロジー」の服で身を包み、心機一転、県外の大学に通い始めた。幸い自分の学科には派手なひともあまりいなかったため、その服装で目立つと言うことはまずなかった。そのうち「古着ガーリー」というジャンルに手を出し、見よう見まねでコーディネートを組んだ結果、程よく野暮ったい大学生が完成した。

 「かわいくない」を払拭、かつ目立ち過ぎないという点ではこれで完成形だったのだが、わたしはまだもやもやしていた。

 理由は二つある。

 一つに、周りを見渡してもわたしよりずっと「かわいい」人がいっぱいいたからである。浮いてないだけで、「かわいい」人になったわけではないのだ。たとえ同じ服をまとっていても、わたしよりかわいらしく着こなせる人は大勢いただろう。要するに先の「垢ぬけ」問題で躓いたのである。

 この点は、のちに「モテ」と「イメコン」という概念に出会って、少し攻略の道筋が見えてきた気がしている。他者に好かれるものを知り、自分に似合うものを知れば、百戦して危うからず、ってどっかの誰かが言ってなかったか。しかしそれを攻略する日はまだまだ先になりそうだ。現在の課題でもあるこの問題については、ここでは割愛する。

 もう一つの理由は、どうも自分の性格や顔面と、今自分が身にまとっている服の方向性が合わないのではないか、という疑問である。サークルや学科に友達が出来て心に余裕が生まれたとき、そもそもわたしは古着ガーリーな女の子になりたかったんだっけか、という思いが頭をよぎった。

 じゃあ、わたしの本当に着たい服ってなんだ?

 そんなタイミングでわたしは「フェリシモ」に出会ってしまったのである。

 

 これが衝撃的な出会いだった。

 あの通販の服には「草原に揺れるワンピース」やら「バレリーナみたいなノースリーブトップス」やら、何かしらのコンセプトがある。

 商品写真もその世界観に合ったお洒落な雰囲気で、モデルも赤文字系ファッションとは違って海外の大人っぽい人たちだった。アンニュイな表情を浮かべて木陰に立つその姿に、思ってしまったのである、わたしもこうなりたい、そしてこういう暮らしがしたいと。コンセプト、世界観を纏う、という概念が新たに追加された瞬間だった。

 この発見は見える世界を別物にした。例えるなら、いままでX軸の上を移動していたところに、突然Y軸が追加されたような気分だった。おしゃれとは「かわいい」「かわいくない」の二元論、またその間で折り合いをつける中途半端なものではなくて、その人の生活や雰囲気、趣味嗜好、果ては生き様までを表現できる豊かな手段だったのである。

 もちろんこの考え方は諸刃の剣だ。ひと昔前に炎上した「オタクファッション」の分類イラストを覚えているだろうか(いや覚えていない)。あれは「こういう服を着ている人はこういう人」を分類したものであったが、逆に「わたしの服ってガチでヤバい勢なのかな…?」「あの系統の服を着ていないとオタバレしてるってこと?」「わたしはわたしの矜持があってパーカーとジーンズなんだけど」などなど、本来線引きできないものまで線引きしてしまって炎上した(気がしている)。他人が来ている服ひとつで線引きできるものなんてない。

 ただ、他人じゃなくて自分が纏う分には、自分のいる場所をとことん分類し、定義づけすることだって悪くないと思う。それは自分が好きなものを知る作業、そして自分を構築する作業だ。納得して選んだものは胸を張って着られるし、そして心ない他者の視線から自分を守る鎧にもなる。

 以前、パニエもかくやとばかりのふわふわチュールスカートと、赤いリボンをあしらったサンダルで街を闊歩していた時には、遠くから不愉快な集団にディスられても全く何も感じなかったものだ。わたしはいま「おてんばなフランスのお嬢さん」なのだ、下賤の民に何がわかると強くなれた。

 

 この考え方はわたしを幸福にした。

 だが、人生には時に、そうは言ってもいられない事態が発生する。

 ついにすきな人ができてしまったのだ。

 

(後編に続く)