厠草子

これで尻でも拭いてください

花ぞ(忘れたい)昔の香ににほひける


 久しぶりに使う香水の香りを嗅ぐと、古い記憶が呼び覚まされる。だいたいは、焦燥感とともに。

 

 人が香水を買いたくなるのはどんな時だろう。わたしは、香りのイメージを借りて現実のつらさを払拭したい時だ。

 ある時は怒られてばかりのバイト先に向かう道を、またある時はお金も予定もない虚しい夏の休日を、またある時は、好きな人の好きな人はわたしじゃないという事実を、なんとか耐えられるものにしたくて香りを纏う。それだけで仕事ができるようになる気がするし、空っぽの夏休みを愛せる気がするし、愛されない孤独を自由だと感じることができる。

 もちろんそれは紛い物の自己啓発だから、効果も束の間しか続かない。記憶に残るのはいつも、「この状況を変えたい」と焦る感情だけだ。

 「劇的な出会いで自分は変われる」という期待をしなければいいのかもしれない。フラットな気持ちで好きな香りを選べば、わざわざ嫌な記憶と結びつけなくてもいいのかもしれない。

 しかしそうはいっても等身大の自分にはなかなかときめけないものだ。わたしに相応しいもの、にわたしは惹かれない。それよりも、別の輝いている誰かになりたいと思ってしまう。

 

 香水というツールは、纏うことで理想的なイメージを体現できるかのように語られがちだ。しかし同時に、脚色のできない、いま生きている自分自身の記憶を、香りに仮固定するような効能もある。
 嗅覚は、どうやら脳みそのなかでも、過去の記憶と近いところに格納されるらしい。そういえば大昔の歌にも「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」なんてものがあったな。記憶を香りに結びつけるのは、いまに始まった現象じゃないんだろう。

 しばらく纏っていない香りの数々は、わたしの焦燥を切り取ったコレクションといっても過言ではない。さっきは、まるで香水にまつわる記憶の方が間違っているような書き方をしていたが、実際にはどれもこれも、香りは正しくわたしの人生に結びついている。

 

 焦っていた自分のことを思い出すから、香水は最後まで使い切れたことがない。だけどひょっとすると、ひと瓶がなくなる頃には結びついた色んな記憶が混ざり合って、正しくわたしの香りになっているかもしれない。

 人の心は移り変わるが、花は昔と同じように薫っている。あの時の焦燥感ごと香りを纏って、何度も今日をはじめるのだ。