厠草子

これで尻でも拭いてください

心の皮膚


今日、十年来の友人に会ってきた。


彼女は心身があまり健康ではない人だ。現在就労はしていない。親御さんと、兄弟と、一緒に暮らしているという。

 

彼女はとても繊細な人だ。そしてその感受性の豊かさ、想像力の豊かさ故に、人と人との間に入って立ち回るのがうまい人だ。一見すると明るくてなんの問題もないお調子者である。
彼女は確かに感じがよく、物分かりがいい。ハキハキ話すし、さりげなく相手を持ち上げるのも上手い。お茶目な部分もあって、親しみが持てる人柄だ。そして優しい。優しすぎるくらいだ。嫌なことをされても何事もなかったかのように周りを許し、変わらず人に尽くしてしまう人だ。

 

そんな彼女の感情を、しかし周りの人間は汲み取ろうとしない。彼女も他人の意図を汲みすぎて、自分の意思を上手く伝えられない。それは親御さんも、兄弟も、周りの大人にしてもそうだ。特に、親御さんに関しては、長女だからと厳しくしつけられ、庇護された試しがないと彼女は言う。

 

周りの人間が一方的に搾取してしまう気持ちもよくわかる。面倒な決断を、音頭とりを、心のケアを、庇護を、世話を、人がやりたがらない役回りを、彼女にさせようとする気持ちが手にとるようにわかる。彼女はそれが出来る人間だからだ。それが出来る人間は重宝されるし、対価を求めないと延々と搾取されるものだとわたしは思っている。だから彼女にはいつも損な役回りばかりが回ってくる。

 

でも、もう彼女の心はかなりボロボロのようにわたしには見えた。寄りかかりようがないくらいにボロボロだ。彼女は自分に与えられている役割に疲れていた。心に皮膚があるとしたら、彼女のそれは弱り、些細な言葉のトゲさえも大出血に繋がるほどに頼りないものになっていた。


心の表面を覆う皮膚。それはきっと他者の勝手な物言いを寄せ付けない自信であったり、自分自身を大切に思う感覚だったりするのだろう。心が健康なら、他人との摩擦でできた擦り傷も時間が癒してくれるものだ。ただ彼女の心の皮膚は傷だらけで、栄養もケアも不足していて、その内側に外敵の侵入を許していた。

 

鼻毛が仕事をしないと風邪を引く。外敵が侵入するとやがて内側は蝕まれ病気になる。それが心か体かの違いなんだろうと思う。

 

わたし自身、彼女と仲違いをしていた時期もあったので、外敵となっていたこともあっただろう。もしかしたら今もそうかもしれない。
しかし、わたしは今切実に彼女に同情しているし、彼女から苦しみを取り去りたいと願っている。


何故かはわからない。
ただ、友だちを長くやっていると、この人がわたしの心の皮膚になってくれた、と思える経験も増えてくる。小学生のころ、いじめられていたわたしにも変わらず接してくれた。生まれて初めて「友だち」を心から信頼した。その相手が彼女だったことを、わたしは一生忘れられない。

 

わたしの存在は、言葉は、いつか彼女の皮膚になってくれるだろうか。
そうなることを願ってやまない。

 

すべての優しいひとが、心の皮膚を健康に保つことができますように。