厠草子

これで尻でも拭いてください

雑記:粧すということについて

 年が明けた。最近のわたしはというと、たいそう疲れ果てている。

 

 短かかった正月休みにだらけた体が回復しないままこの2週間は過ぎた。離職の手続きのバタバタもあり、精神的にもあまり余裕がなかった。

 気が付けば、部屋はぐちゃぐちゃ、食事は不規則、着るものも髪型も適当な上にすっぴんで出社、みたいな毎日になっていた。寝癖がついた髪のまま仕事をして、家に帰れば散らかった部屋の散らかった布団にダイブしてそのまま寝てしまう。気が付けば深夜の3時とかになっている事もザラだ。しかも煌々と明かりがついたままの部屋で眠るのだ、十分に睡眠を取れるわけがない。当然朝は眠たく、仕事にやる気も出ず、毎日苦痛でしょうがなかった。

 この悪循環をなんとかせねばと思い立ち、掃除を試みるも途中で力尽きて頓挫。部屋は余計に散らかったまま日が過ぎていく、ということを繰り返していたのだが。

 

 本日、不意に思い立ち、好きだったメイク系youtuberの動画を観ながら、久しぶりに自分の顔に化粧を施してみた。

 平日にちゃんと化粧をするのは、年末ぶりだろうか。下手したら1ヶ月はまともに化粧をしていなかった気がする。丁寧に眉を描き、何種類もアイシャドウを使って目の周りを飾りたて、頬紅をはたいた。するとどうだろう、鏡の向こうにはとても色ツヤのいい、健康そうな人間が立っているではないか。

 粧しこむ必要の全くないところで粧し込んだことで、謎に元気が出てきた。鏡の自分が元気そうだから、脳がわたしも元気だと錯覚したのかもしれない。はたまた可愛い顔したわたしがこんな汚い部屋に住んでいるなんてありえない!という心理が働いたのかもしれない。そのままわたしは溜まっていた皿を洗い、服を洗濯し、手料理を食べ、風呂に入った。まるで真人間に生まれ変わったかのように活発である。

 そこで気を良くしたわたしは、こうして久しぶりにブログに文章を書いているというわけだ。

 

 結論から申し上げるが、やっぱり自分で自分を「いい」と思えないと、自分を大事にすることは困難であるように思う。

 わたしの場合はそれがたまたま化粧だったが、自分で自分を「イケてる」状態にプッシュアップできるツールを持っておくと生活は潤う。人によってはそれが高いスキンケアだったり、おしゃれな服だったり、片付いた部屋だったり、自分で料理を作ることだったりするのだろう。もしかしたら誰かに褒めてもらうことかもしれないし、人知れず善行を重ねることだったりするかもしれないし、Twitterでいいねをもらうことだったりするのかもしれない。

 そして、そういう手段はなるべく他者に依存しないものの方がいいのだと思う。その点化粧は素晴らしい。なんと言っても、自分で自分を見て可愛い〜!って言えるのがいい。アイテムを褒めながら、同時にそれで粧した自分のことも褒めてあげられるなんて魔法みたいだ。

 粧すとはつまりメイクアップでありパワーアップなり、ということで本日はこれまで。