厠草子

これで尻でも拭いてください

終わりない日常その名は会社

社会人なので一人前に働いている。いや正確には0.5人前くらいか。新人なので仕事の内容はまだ一人前とは言えない。でも一人前に社会人をやっている。

社会人をやる、とはどういうことか。これは各々の認識の解像度や、価値観が大いに反映される問いだと思う。「責任を持って仕事を成し遂げる」と答える人もいれば「とりあえず人の形をして8時間会社にいること」と答える人もいることだろう。ここのマインドセットが違うと見える世界も大いに異なるため、学生時代の友人と久しぶりに集まった時に「最近仕事どうよ?」の一言を出した結果友情が壊れたりするのである。

もう2度と友情を破壊しないためにも、わたしの認識している社会人生活のチェックリストを文章にしておこうと思う。ちなみに難易度を5段階評価で示してある。難易度3がやってやれないことはないレベル、難易度5はできれば勘弁してほしいレベルと想定している。クソの役にも立たないことは承知の上である。

 

・朝起きる(難易度3)

夕方6時に起きて朝の8時に寝る生活をしていた頃は社会人になったら毎日6時起きだなんて無茶言わないでほしい、と思っていたのだが、案外やってみると適応できた。個人差があると思うが、ポイントは体質と諦めではないかと思う。とりあえず夜に寝られる体質であれば問題はない。あとはどのみち会社に行かなければならないという諦めがなんとかしてくれる。

 

・身支度を整える(難易度5)

意外と鬼門だった。社会人の身支度は学生のそれとは違うことをすっかり失念していた。

というのも、学生の間は「個人の自由だから」「不快なら関わらなければいいから」で済んでいた問題に社会人は正面衝突しなければならないからである。職場で付き合う人は選べない。産毛や鼻毛や鼻くそはもちろん、繋がった眉毛や伸びた爪すら悪口の対象になり得る。別に両さん眉毛は前髪で隠せばいいし、口にヒゲが生えてたって死にゃしないと思うのだが、人はだいたい自分以外の生き物には不寛容なので黙って言うことをきくしかない。

それに言っちゃなんだが身奇麗にしているひとほど得をするのが社会である。清潔感のある真っ当そうな人、みんな好きでしょ。老若男女、綺麗な人が好きなのは、ダサいトレーナーに身を包み、くたくたのズボンを履いていた小学生のわたしが6年間遠巻きにされていたことからも明らかである。

そんなわけで入社したばかりの頃は「この人は尊重しないといけない気がする」と思わせる見た目を作り上げることに日々心血を注いでいた。とはいえ1秒でも長く布団と戯れていたいので自然とその工程も縮小され、今では「毛と匂いさえなんとかなっていればもうなんでも良くね?」と開きなおってすらいる。2日にいっぺんはすっぴんで出社するし、トイレに行く前と後で顔が違うのはデフォルトである。たぶんもうずっとこのままだろう。

 

・挨拶(難易度5)

「おはようございます」がこんなに難しいとは思わなかった。

目が合わない、朝だから声が出ない、何度言ってもスルーされるなど気に入らないことを挙げていけばキリがないのだが、一番気に入らないのはフロアの全員に向かって挨拶するシチュエーションである。

「おはようございます」には「おはようございます」で返す。小学生でも知ってるお約束だ。それを一対多数でやるわけだから、言うなればコンサートのコールアンドレスポンスに近いものが繰り広げられてしかるべきである。

であるはずが、わたしのシャウトに同じ熱量でもって応えてくれる人間は誰一人としていない。ライブは俺らとお前らで一緒に作っていくんだぜ? 盛り上がっていこうぜ? しかし弊社のオーディエンスはうつろな目でボソボソと何事かささやくだけで全くノリに乗ろうとしてくれない。

会場を沸かせる挨拶、できる人は多分サラリーマンよりミュージシャンやった方がいいんじゃないだろうか。マイクを握っても蚊の鳴くような声しか出ないわたしは今日も曖昧に頭を下げてデスクに着く。

 

報連相(難易度10)

「5段階評価じゃなかったの?」だって? は? 細かいことは別に良くない??

これすごく苦手なんだ。すごく苦手。仕事の中で一番苦手かもしれない。

まず言いたいことが整理できない。伝えなければいけないポイントがいくつあるのかわからない。模試の100字要約ならこの人たちより絶対いい点取れるのに、どうして10分かからない商談の内容すらまともに伝えられないのだろう。

しかも声をかけるタイミングが読めない。さっきまで椅子に座っていた人が1分後には消えているなんてことがオフィスではしょっちゅう起こる。また一本の電話を境にモーションが一気にスピードアップし、とてもじゃないけど呼び止められないケースもある。かと思ったら別のところでは吊るし上げが始まり、人が死んでないのにお通夜のような空気になったりもする。職場はジャングル、なにが起こるかわからない。怖いから帰る。

これについては未だに解決方法の「か」の字すら見えてこないので、あまり考えないようにしている。

 

・相槌(難易度1)

いやわたし的にはゼロなんだけどさ。職場の盛り上がりに欠けるオーディエンスはびっくりするほど相槌をしない。だから誰かが発言してもそれを支持したり、疑問を投げかけたりする声が上がらない。そんなわけで空気は鳥もちのように粘り、流動性がなくなり、お通夜のような沈黙が会議室に漂うことになるのである。

それを思えばマックやミスドでくっちゃべっている学生は強い。「わかる」「それな」「超ウケる」を駆使して高速のラリーを打ち合っている姿に「若いっていいな……」と感嘆せずにはいられない。ちなみにプライベートのわたしは「だから馬鹿は嫌いなんだよ」「うるせえ黙ってろ」「超ウケるんですけど」を駆使して友達と憂き世の憂さを晴らしている。むろん片手には酒が欠かせない。我々は鬱憤を晴らすためにアルコールを嗜むが、閉じた空気を無理矢理こじ開けるためにも酒は用いられがちだ。「酒なしで1時間も2時間も会話なんてできねぇよ」と言った奴は、確かに相槌を打つのが下手だった。職場の飲み会がつまらないのはなるほどこういう理なのかと納得した。

 

会話を盛り上げるのは話し手の話術ではなく聞き手の合いの手なのだと思う。そして相槌にはある程度のスキルが必要だし、言葉選びにもその人の品性が宿るのだ。会社のおじさんたちがそれを理解するのはいつになるのだろう。わたしが彼らの話を笑って聞けるようになる日は来るのだろうか。

 

勘のいい読者の方々は社会人のチェック項目というお題目が、最近の気に食わねえことを羅列するための口実だったことにそろそろ気付き始めていることだろう。バレてしまっては仕方がないので今回はこの辺でお開きとさせていただく。 わたしは明日も会社なのだ。ああ、気に食わなくて割り切れない日常がまたやってくる。